木地轆轤(ロクロ)の歴史
木地轆轤の歴史は古く、奈良時代に全国の国分寺に奉納された百万塔が木地轆轤で制作されたものとして現存しています。
このころの轆轤は人力を用いた二人挽きの手挽き轆轤(1)でしたが、明治時代に入り一人挽きの足踏み轆轤(2)となり、大正時代からは電動轆轤(3)が用いられるようになり、生産量が飛躍的に伸びてきました。こうした中で、山中の木地師は一人挽き轆轤から足踏み轆轤の試作改良を試みるとともに、数多くの加飾挽きの名工を輩出しました。
山中漆器「轆轤挽き物(ろくろびきもの)」加飾挽きの技法
山中漆器の轆轤挽き物技術が他産地の追随を許さない理由の一つには、豊富な「加飾挽き」の技術があげられます。加飾挽きとは、鉋やそれに類する刃物を使用して、挽き物木地の表面を加飾する伝統的技法です。その数は40種とも50種ともいわれていますが、基本的には筋と称する平行みぞによるものと、渦巻き・らせん模様のものがあります。
各々の木地師が持つ技術や、微妙な呼吸(秘伝)により、樹種や形状に添った数々の意匠が展開されてきました。それらはまた、 器物に対し多様な美観を与えるとともに、実用上、手で持つときの滑りを防ぐ効果を持っています。